小説の神様と畏敬される文豪志賀直哉は、明治16年(1883)2月20日、当時第一国立銀行石巻支店に勤務していた直温・銀夫妻の二男として住吉町で誕生しました。(中略)明治18年、直温の銀行辞職にともなって志賀家は東京の祖父母の元へ移ることとなりますが、それまでの約二年間を彼は石巻で過ごしています。志賀直哉が生まれた場所については諸説があり、はっきりしていませんが、現在の住吉町1丁目地内であるといわれています。直哉自身は手紙や作品「白い線」の中で「探してみたが跡形もなく」「石巻時代の記憶はなく」というような記述をしており、石巻での生活や家の様子などは覚えていないようjですが、石巻へは数回訪れています。
彼が生まれた住吉町は、藩政時代には仙台藩の江戸廻米のための米蔵が建てられていたところでした。現在の住吉小学校の敷地が米蔵のあった場所で、享保2年(1717)には18棟の蔵があったことがわかっています。住吉町にある旧毛利家は、戊辰戦争のとき榎本艦隊が江戸湾を幕府軍艦7隻で脱出し、北海道へ向かう途中、榎本武揚、土方歳三等か滞在したといわれます。 また、福島・相馬藩主相馬家が建てたといわれる別邸も残されているなど、幕末から明治へと移り変わる時代を感じることができる町です。   平成13年3月 石巻市教育委員会 

志賀直哉と住吉町 石巻市