古市街道・備前屋跡 古市町 伊勢市 三重県
古市には天明年間(1781−1788)頃妓楼は70軒余あったといわれる。この備前屋は牛車楼ともよばれ古市著名妓楼のひとつであった。
 「伊勢にいきたい伊勢路がみたい、せめて一生に一度でも」と道中伊勢音頭にうたわれたように、江戸時代伊勢参りは庶民の夢でした。 全国津々浦々から胸躍らせて伊勢参りに向かう人々、特に慶安3年(1650)、宝永2年(1705)、明和8年(1771)、文政13年(1830)、慶応3年(1867)の「おかげ参り」には全盛期を迎え、多い時には半年間に約458万人の参拝者があったと記録に残されています。
  外宮から内宮へ向かう古市街道は、伊勢参りと共に栄えました。その中でも古市は、江戸の吉原・京の島原と並ぶ三大遊廓があり、全盛期には妓楼70軒・遊女1,000人を数えました。特に油屋・備前屋・杉本屋は古市の三大妓楼として有名でした。寛政8年(1796)に、油屋でおこったお紺と孫福斎による殺傷事件は、後に近松徳三により『伊勢音頭恋寝刃』という歌舞伎になり、現代でも演じられています。  当地で行われた伊勢歌舞伎は、江戸と上方の中間にあり、かつての松本幸四郎・尾上菊五郎らも来勢し、役者の登竜門として有名でした。 また、千束屋(ちつかや)は『東海道中膝栗毛』の弥次・喜多の図にもみられた妓楼でしたが後に貸衣装屋に転じ、伊勢歌舞伎を支えました。唯一現存する麻吉、昭和40年代まで存在した大安なども古市を代表する旅館でありました。 その他、現在の古市街道周辺には、お紺の墓のある大林寺、千姫の菩提寺であり画僧月僊が住職であった寂照寺、天細女命(あめのうすめのみこと)を祭神とする長峯神社、桜木地蔵など、往時を偲ばせる施設がいくつかあります。