茶屋町(常磐町)の道標 所在伊勢市常磐一丁目 津・松阪などから伊勢街道を南下する参宮道者は、小俣から宮川の下の渡し(桜の渡し)を中川原(宮川町)へ渡りました。中川原から茶屋町(常磐町)、堤世古(浦□町)を経て筋向橋に至る道は、正保4年(1647)の開通とされています。 さらにこの茶屋町から大間の社(大間国生社)の方への道も分れていました。 この分岐点は現在地より一本北側の道路にあり、この道標も元はそこに立っていました。 (一八二二) 吹田屋喜兵衛 (東面)文政五年壬午孟春 大 みさき河喜 御師橋村右近太夫 阪 美崎香河喜 (南面)すぐ 外宮江 十三丁半 内宮江 壱里三十三丁半 (西面)左 二見浦 二里十五丁 (北面)右 宮川渉場 六丁三十九関 伊勢市教育委員会 |