勅使塚 曽原町  松阪市 三重県
平安時代後期から鎌倉時代にかけての事柄を書いた『吾妻鏡』の養和元年(1181)10月20日の条には「神宮祭主大中臣親隆の長子、神祇少副定隆が、伊勢国一志駅で頓死した」という記事がある。その頓死した大中臣定隆を埋葬した場所であるといわれている。そして、その場所に現在石碑が建てられている。  2007年3月9日   松阪市教育委員会