思徳之碑 観音寺 神戸2丁目 鈴鹿市 三重県
思徳之碑 旧神戸二代藩主本多恵永候の徳をたたえた碑
忠永は兵法と文学にたけた反面、情の深い武士で、領民をいたわり、特に難民に救いの手をさしのべ領民の信頼を一身に集めた。領民の慕いよるさまをみた五代目忠升が文化14年(1811)4月境内に思徳の碑をたてた。300字による碑文は、当時江戸藩の教倫堂の校長にあたる長野豊山(1783〜1837)が書いている。