東海道関宿 関町 亀山市 三重県
関宿の歴史
関は緑豊かな鈴鹿国定公園の山麓に位置し古代日本三関の一つ「鈴鹿の関」のおかれていたところで古今東西交通の要衝である。古くは「壬申の乱」の舞台、「斎王群行の道」、一休禅師による「関地蔵開眼話」、さらには、本能寺の変における「家康伊賀越えの道」など街道にまつわる話が実に多い。 江戸時代には、東海道五十三次屈指の宿駅として参勤交代の大名行列や伊勢詣りの旅人で大いに賑わった。天保14年(1843)の記録には本陣、脇本陣4軒、旅籠42軒、酒食店99軒となっている。関宿は今なお、東西追分の間(1.8km)に古い町家が軒をつらね、宿場町の景観をのこしている。