伊香保関所 伊香保 伊香保町 渋川市 群馬県
伊香保関所について 伊香保温泉から吾妻郡へ向かう出口に百姓関を設け、地元から関守を選び、警固に当て樵夫(きこり)、草かり、農耕作人の外は一切関所手形がなければ通行ができませんでした。これは伊香保温泉に出入りする湯治客が対象で、江戸からの子宝の湯と宣伝されて婦人客が多かったので「入鉄砲に出女」の詮議がきびしく取締られ尼さん、少女、前髪立ちの若者まで不審の者を捕らえれば、ご褒美まで与える仕組みになっておりました。
「取調べ石」(右一対)と「お辞儀石」(左平石) 山駕籠
伊香保道は三国街道の抜け道であったので、その取り締まりに安中藩井伊直政は伊香保入口に関所を設け、地元の功労者14人のうち2人廻番、下番に村民2人づつ選んで警固に当らせ、麦6石、ヒエ6石の12石をあたえその費用は14人で分担いたしましたので、荏(えごま)と大豆の免税と御普請人足や課税も赦される特権を与えられました。1615(元和元年)大阪夏の陣で豊臣氏滅ぶ。この頃交通発達し、街道宿駅発達する。1631(寛永8年)三国街道の要地として伊香保石段街入口に関所を設ける。以下略