芭蕉句碑 荒木  伊賀市 三重県
元禄3年3月11日
  
畠うつ音やあらしのさくら麻  ばせを 荒木村白髭社にて
元禄3年(1690)芭蕉47歳の作。季語「畑打つ」で春。『芭蕉句選拾遺』(井筒屋寛治編)に、「元三(元禄三年)、此句木白興行二一折有。三月十一日、荒木白髭にての事也。」とする。「白髭」は白髭神社のこと。木白は伊賀藤堂藩士岡本治右衛門政次で、瓢竹庵主。後に苔蘇と改号している。前日の三月十日付、江戸の杉風宛芭蕉書簡には、中七を「あらしの音や」と報じていることから書簡の句が初案で、翌十一日、白髪神社における木白主催の俳席に改案し臨んだことになる。「あらし」が「荒し」と「嵐」の掛詞となり、繊細な詩情をもって春らしい郊外の野良風景を詠んでいる。「さくら麻」は麻の雄株。「桜ノ咲ク頃、蒔クモノナル故二云フトモ云ヘリ」(『方葉集古義』)とも、麻の花が桜に似ているからともいわれている。句意は、「春になって畑を打つ音がしきりにする。傍らの畑には桜麻が可憐な芽を出し、双葉が風にそよいでいる。麻の芽にとって、あの畑打つ音が荒々しい嵐のように聞こえるであろう。」