登米神社 登米町

八幡宮は天喜年中鎮守府将軍源頼義が賊徒征伐の時、鏃を神体として戦勝を祈願した辺室山の浄地に、康平5年(1064)頼義の嫡子義家が、山城国鳩峰に鎮座せる岩清水八幡宮を勧請したもので、後世その地を八幡崎と呼んだ。 文治5年(1189)藤原泰衡没落後、葛西三郎清重がこの地方を領有するに方り、八幡宮を七郡の総鎮守葛西家累代の守護神として尊崇した。   昭和45年12月  登米町