清川八郎墓・歓喜寺 花咲 清川 東田川郡 山形県
幕末の志士・明治維新の魁(さきがけ)  清河八郎の墓 (1830−63)
清河八郎は天保元年当清川の郷士斎藤治兵衛家の長男として生れ、十八歳で江戸に出て東條一堂塾、安積艮斎塾、昌平校に学び修め、千葉周作につき剣を学び文武の道に達し、後江戸で塾を開き子弟の教育に当る。 万延元年桜田門外の変が起こり、これを契機に尊王攘夷の大義を主張・行動し、浪士組結成(後の新撰組新徴組)維新回天に魅せられるも、文久3年4月13日上山藩、家老金子輿三郎邸より酔歩帰途、江戸麻布一の橋に幕吏の毒刃に襲れ暗殺された。八郎享年34歳、非命に倒れる。 同志石坂周造変を聞き、現場に駆けつけ首を懐中に収め、密かに山岡鉄太郎邸に持ち帰り、山岡氏は江戸小石川傅通院墓地に葬り、自ら墓石を立て供養する。 明治2年4月母の切なる願いにより、郷里菩提所歓喜寺内当墓所に改葬する。 尚墓表は山岡鉄舟筆である。 平成22年3月 金 華 山  歓 喜 寺  庄内町観光協会