稲田口番所・高田銭座跡 東本町5丁目 上越市 新潟県
東本町5丁目、稲田橋の西側に稲田口番所跡と高田銭座跡がある。ここは高田城下から奥州街道、今町(直江津)方面へ行く出入り口である、松平忠輝は高田城築城にあたり関川河口の往下橋を廃止した、軍事上の目的と、高田城下に旅人を入れて町の繁栄を考えたのである、従って糸魚川方面から新潟方面に行く旅人は五智から加賀街道を通り、陀羅尼口番所を通り高田城下に入り稲田口から奥州街道を利用しなければならなかった、その為直江津、今町の発展は大きく阻害された。又この地に銭貨の鋳造発行所である銭座があった。江戸幕府は民間に鋳造を請け負わせた、高田の銭座は松平光長時代(1624〜81)鍋屋町(東本町)にあった。瑞泉寺(南本町3丁目)の「時の鐘」は寛文9年(1669)松平光長の、高田姫の命でここで鋳造された。