福島城址 港町2丁目 上越市 新潟県
福島城は、慶長12年(1607)に完成され、同19年に廃城となった。わずか7年間の存在でしかなかったが、室町時代から江戸時代に移る当時の築城形式をしめす典型的な大城郭である。その間に城主は堀忠悛・松平忠輝の二代にわたったが、いずれも一国一城の越後大守であった。 慶長8年、徳川家康か江戸幕府を開いてから、天下の諸候は春日山城のような山城の必要がなくなり、堀氏も福島城へ移ったのである。慶長15年、堀氏が改易となり、徳川家康がわが子、松平忠輝を信州、川中島から移し75万石の福島城主とした。しかし、忠輝も4年後、福島城を廃し高田へ新城を築いて移ってしまった。城を移した理由は明らかでないが、毎年、雨期になれば関川、保倉川が氾濫するからだというまことに短命な城であつたが、図によって日本海、関川・保倉川の二河の地理を考えたその規模の大きさを、かっての野面積の石を用いた左の碑壇の石垣を見ることによって、豪壮な城であったことを知ってほしい。     (昭和54四年再建 福島城史跡保存会〉