旧鉢崎宿町並み・鉢崎関所跡 米山町 柏崎市 新潟県
戦国期、鉢崎関所は、当地域の戦略的拠点であった旗持城を擁する旗持山山麓が海に迫っているという地の利を生かして、軍事・治安上の要衝地として、重要な役割を果たしていた。江戸時代に入り、この機能は、高田藩に引き継がれたが、最も取締が厳しかったのは女子と鉄砲に対してであり、「出女入鉄砲」という言葉があった。これは、幕府が各藩主の妻室を江戸に住まわせて、人質としていたため、この人たちが無断で帰郷するのを警戒したためであり、また、地方から江戸へ鉄砲を持って入ることが治安上危険と考えられていたからである。当時の覚書によると、関所の木戸が開くのは午前6時で、閉まるのは午後6時とあり、夜間の通行は一切禁止されていたが、飛脚などの通るときは、委細を改めて通行を許したということである。現在、自動車で通る人は、この関所跡を見ることはできないが、ここに立つと、その地勢を利用して、なぜここに関所が設置されたのかが理解できるであろう。