妻入街並 出雲崎町木折町 三島郡 新潟県
 江戸時代、出雲崎は徳川幕府の天領となり、佐渡の金銀陸揚げ港として、また、北前船の発着港として栄えました。 また、北国街道の宿場町として多くの人々が行き交い、この地方一帯の政治、文化、交通の中心都市でもありました。 その間、良寛がこの地に生まれ、芭蕉が訪れ「荒海や佐渡によこたふ天河」の名句を残し、十返舎一九・吉田松陰など数多くの文人墨客の往来がありました。 海岸線に沿った3.6kmにおよぶ「妻入り」の家並は、北国街道の名残であり当時の面影を今に伝えています。「妻入り」とは、切妻側面の三角形の壁面方向に出入口を設け、これを正面とする建築様式のことです。 平成8年3月には、建設省の歴史国道として選定され、同年6月には新潟県の「景観形成推進地区」に指定されました。その後、「ふるさと新潟の顔づくり事業」として道路の景観鋪装や照明灯などを整備しました。 この妻入りの街並は全国的にも珍しく、訪れる人々にやすらぎを与えてくれる光景であり、末永く後世に伝えていきたい風景です。
 北国街道は、出雲崎から江戸へ佐渡の金を運ぶ道として利用され、信州追分宿から中山道を経て江戸に通じていた。この北国街道は、会津街道・三国街道と合わせて「佐州三路」といわれるうちの一つの街道で、多くの人や物資の往来がありました。江戸幕府は、佐渡の金銀を重視し金山の開発にあたらせました。このため、北国街道は佐渡で産出された金の輸送や、佐渡奉行や巡見使の通行等、江戸と佐渡を結ぶ主要幹線として再編成され、東海道など五街道に次ぎ重要視されました。
平成12年2月 新潟県与板土木事務所 出雲崎町