平等の利益にもれぬしるしおば 汲む人おしる平沢の水
いつ頃誰が詠んだのであろうか、この清水は、いつ頃から湧き出ていたのか、この度景観を整えるに当たって、石器時代のものと思われる石おのの様なものが出てきたところから縄文時代頃には、人間がこの清水を使っていたものと思われる。以来、歴史に記されている中で、平の景清が、源氏に破れて九州宮崎に落ち延び、部下の高梨の景門に命じ自らの守り本尊である千手観音を、生まれ故郷の羽後平沢(秋田県)の地にまつる様頼んだ。影門は、北国街道を東に向かったが、この地に着いたとき愛馬が倒れ 聞けば何かのゆかりやらこの地も同じ平沢と聞くと、愛馬をほうむってそこに一本の欅の木を植えて一庵を建て守り本尊をまつったといわれる。その欅は現在、目通りの大きさは大人7人くらいで抱えなければならない大木となっている。以来、芭蕉・良寛等文人墨客の多くが通りがかりこの清水でのどをうるおし、しばし旅のつかれをいやした事であろうと昔を忍ぶ。平成2年4月吉日 大字平沢
平沢清水 平沢 西蒲区 新潟市 新潟県