中原家の家紋は、先祖が漁業や水運業を営み、財を成したことから「投網の紋」となっています。江戸後期、24代当主久成の時に、江戸城本丸普請や第二次長州征伐など幕府への献金を行い、その功績により苗字帯刀を許されました。江戸時代、本陣としての役割を担い、江戸後期に乳の潟の新田開発を行い、その新田は「藤蔵新田」と呼ばれました。明治11(1878)年9月16日、明治天皇が北陸御巡幸の際、ご昼食をお召しになり、その当時使用された「上段の間」が現存しています。邸内の敷地は約4000坪あり、江戸後期に建てられた主屋と、明治後期のレンガ塀、約1500坪の竹林などがあります。 
本陣跡中原邸 赤塚 西区 新潟市 新潟県