新発田市指定有形文化財 宝光寺山門棟
 曹洞宗宝光寺は廣澤山と号し、新発田藩主溝口家の菩提寺として400年の法灯を耘える下越の名刹である。溝口秀勝侯の新発田移封に従って来たが、慶長17年(1612)頃、現在地に建立された。文政年間の大火に類焼し、本堂、庫裡などすべてを焼失したが、この山門は弘化2年(1845)11代藩主溝口直溥等の助力により復興したものである。棟梁は小澤流 若狭正藤原一中である。禅宗様を基調としており、宝光寺伽藍のなかでは抜群の建築物となっている。よく均整のとれた入母屋造りの二重門である。細部装飾の多いのは、幕末期鵜の特徴である。建立以後改変も少なく、当初の姿が遺されている。本堂内に掲げられている「山門妻平十分一彩図」という板絵は建立当初の姿を今に伝えており興味深い。 昭和50年8月指定 新発田市教育委員会
宝光寺山門 諏訪町2丁目 新発田市 新潟県