国指定村上城跡 
この城は、室町時代以来この地方の地頭本庄氏の根拠地でしたが、慶長3年(1598)国替えでこの地に入った村上頼勝が大改造を加え、その後、堀直奇(なおより)、松平直矩によって本格的に築造され、三層の天守がその偉容を誇っていました。しかし天守は、寛文7年(1667)に落雷によって焼失し、以復、建立されませんでした。現在は、臥牛山上の木城の諸郭や門、天主、槽の跡がよく原形をとどめ、とくに300有余年の風雪に酎えた高石垣は当時の石工技術と力学の結晶であります。別名、舞鶴城とも呼ばれました。


一文字門跡
居城・本丸の入口としての門であり、全面を枡形として石垣を高く積み、その上に塀を回し、冠木門を付属させた二重構造の厳重な門構えです。コの字形の深い堀と高い石垣に囲まれた郭内は、三層の隅櫓や二層の櫓三棟を塀でつなぎ、正面付近には、跳ね橋を架け、敵が侵攻した時には橋をひき、守備を堅固にしました。山頂の城郭に行くには、一文字門を通らなければならず、城攻防の最後の拠点となるところでした。元和6年(1620頃)、堀直奇により完成されました。  村上市教育委員会
村上城址・一文字門跡 本町 村上市 新潟県