山王宮 寺泊野積 長岡市 新潟県
 野積杜氏
ここ寺泊野積地区(旧野積村)は「野積杜氏」と呼ばれる酒造り職人を伝統的に育ててきた所として有名で、杜氏の里と言われている。 野積杜氏の成り立ちは、江戸時代中期(1750年代)からとされる。当時この地は、奥州白河(現在の福島県白河市)藩主・松平越中守の配下にあり、幕藩体制窮乏の事情による白河への出稼ぎを発端としている。野積周辺は地形的に耕地が少ないことから、当時は漁業や屋根葺き業が主な職業であり、冬季の出稼ぎ収入が生計の一部を補っていたものと思われる。 江戸時代後期より始まった北前船運行の発展に伴い、寺泊では蒲原平野の米による酒造業が興ったが、時を経て大正時代になると、大河津分水路が通水され、沿岸の魚影に大きく影響を与えたため、野積付近の漁師の生活は変化し、この頃から酒造りの出稼ぎが急増していった。 優れた杜氏輩出の影には、弥彦の酒造家「多賀氏」の指導がある。先進技術を東日本型の米質に適する醸造法(泉流)に改編したとみられ、それをもって、北関東から東北、北海道まで、新潟県内にも広く進出して今日の「新潟清酒」の源流をつくった。 現在に至っても、野積地区には極めて優秀な杜氏達がいて、それぞれが伝統的技術を伝えながら名酒造りに励んでいる。           環境省・新潟県