三河国分尼寺跡 忍池 八幡町 豊川市 愛知県
国分寺と国分尼寺は、奈良時代に聖武天皇の命令で全国60余か国の国毎に建てられた官立の寺院です。発掘調査の結果、この三河国分尼寺跡には、かっては約150m四方の敷地に、本尊を安置した金堂、尼僧が勉学した講堂、尼僧の共同宿舎であった尼房、時刻を知らせた鐘楼、仏教経典などを納めた経蔵、中門と講堂をつなぐ渡り廊下としての回廊、寺院正面から南大門などの建物が軒を連ねていたことが確かめられ、瓦や土器などの数多くの遺物が出土しました。.三河国分尼寺は、奈良時代から平安時代の中頃にかけて、三河国分寺とともに三河国の仏教文化の中心施設として繁栄しますが、やがてその役目を終えると建物は朽ち果て、後に跡地に建てられた清光寺の境内にわずかに残る礎石に、当時の面影を残すだけとなっていました。 そこで豊川市では、この三河国分尼寺跡の保存と活用のため、 平成11年度から保存整備工事に着手し、かつての国分尼寺の偉容を想像していただけるように中門と回廊の一部の実物大復元を行い、歴史を体感できる史跡公園として整備しました。