三河国分寺塔跡 本郷 八幡町 豊川市 愛知県
塔には、聖武天皇が写経した「金光明最勝王経」が納められていました。重層の建物構造であるため、面積に対して建物の重量が大きく、そのため建物がのる地面を版築と呼ばれる工法で強固に固めていたことが調査で分かっています。また、基壇(建物をのせる土壇)の縁辺は、ヒノキの角材で覆われて(木造基壇外装)いたことも分かっています。この塔跡は南側が後世の削平を受け、北と西側は戦国時代に土塁として土が新たに盛られたため、往時の形状が著しく損なわれています。礎石は2つ残っていますが、左奥の礎石は元位置を保っていません。