応永年間(室町初期)大崎氏の家臣氏家弾正が築城し天正19年(1591)豊臣秀吉の命を受けた徳川家康が伊達政宗のために榊原康政に縄張りさせ改築した。 その時縄張りに用いた器具類を城中の一角に埋め、その上に米沢から成島八幡の分身を遷座して一祠を建立した。八幡平と称し、今に残されている。城郭は外堀をめぐらし、急峻な崖の上には土塁と内掘を備え本丸、二ノ丸、三之丸も深い堀切で区画され、東西約800m、南北700mの大規模なものであった。政宗が慶長8年(1603)仙台の青葉城に移るまで、12年間居城した。その後第4子宗泰に1万5千石を与え領主とした。今は城山公園および学校用地として整備され、四季の花が咲きほこり、町民のみならず、広く県民憩いの場となっている。 岩出山町教育委員会
岩出山城跡 城山 岩出山 大崎市 宮城県