この神社は「明神社」とお伝えられ「雨乞いの神」として信仰されたが勧請等については不明である。しかし永承6年(1051)の前九年の役に陸奥守鎮守府将軍源頼家が阿倍貞任征伐のためこの地を訪れた時、すでに祠堂があったといわれているので、その歴史は古いようである。「眼病の神」という説もあるが、これは「後三年の役」で義家の家臣鎌倉権五郎景政が負傷した目を祠堂の近くの泉で治したという伝記とのかかわりがあるようだが詳細は明らかでない。なお、この神社のそばに樹齢3百年を越す老松「赤鳥井の松」があったが、昭和60年松食虫の被害にあって枯死してしまった。 一迫町教育委員会
水神社・赤鳥井の松 柳目持くれ沢 一迫 栗原市 宮城県