「続日本紀」によると、聖武天皇は、奈良時代の天平12年(740)に伊勢国を行幸になり、11月に一志郡河口をたち、鈴鹿郡赤坂の頓宮を経て、23日に朝明郡の頓宮に着かれたとある。また「万葉集」 1030聖武天皇の御歌に「妹に恋ひ 吾の松原みわたせば、潮干の潟に鶴なき渡るjとある。吾の松原については、安濃の松原であり、若松の松原であり、本市の県地区であるという説があるが、この地は現在も松原町と称し、大樹のあった面影を残しており、この辺を中心とした極めて広い場所が吾の松原であったと推定されている。 松原町のもと松原姓を名乗っていた旧家田村真二氏宅に伝わる話では、聖武天皇が行幸の際に松原を通られると一陣の風が吹き、天皇の笠が池の中に落ちたが、ちょうどその時、傍らに洗濯をしていた娘がその笠を拾って差し上げたため、これが縁となって天皇はこの田村家に宿をとられたという。そして当時の天皇の形見の品が永く保存されていたが、火災で焼失したといわれている。 聖武天皇社は、神社の名称やこのあたりに大きな樹木のあったことから考えて、この地を朝明頓宮の跡として、鎌倉時代の安貞元年(1227)に創建されたものであり、.境内には昭和30年に郷土が生んだ歌人佐佐木信綱の筆の万葉の歌碑が建てられている。 平成6年7月 四日市市教育委員会
聖武天皇社 松原町 四日市市 三重県