神明社は、明治五年の「伊勢國朝明郡札場新田明細帳」によれば『東西80間、南北8間3尺、但し、9月5日祭禮」と記されており、かっては現在の三岐鉄道線路敷地から神明社跡地の碑までの細長い敷地であった。これが明治45年に石部神社へ合祀され、現在は同社の境外地となっている。 「神明信仰」は、伊勢神宮の分霊を勧請し伊勢信仰ともいわれてきた。神明社の原型は神宮の神領である御厨・御薗に設けられた斎館で、御師が滞留する宿ともなった。御師は御祓いや伊勢暦を配布して初穂料を受けて回った。室町時代から江戸時代に成立した村々では神明社を氏神とし、あるいは氏神の延長とみなした例が多い。 また、神明社に隣接して山の神があった。これも先の明細帳によれば、東西10間、南北8間の敷地であった。大山祇神とし「十二様」「さがみさま」、「おさとさま」、などともいわれて村人に信仰されてきた。 下野地区史跡委員会
明神社跡 札場町 四日市市 三重県