田原藤太郎秀郷の後胤赤堀藤太郎が中野家と称して永禄年間(1558〜1570)に築城したものであるが、永禄11年(1568)に織田氏により滅亡、現在は城としての形状は留めていない。江戸時代の大庄屋天春家はその城跡であると言い伝えられている。 保々の歴史を知る会・保々地区連合自治会
天春(あまがす)家(中野城跡)中野町 四日市市 三重県