昔、京極家同族の争いがあり、秦川の松尾の戦いに敗れた京極太善太夫政高という人が山越えで政所から黄和田城に逃れたといわれ、以来京極氏代々の城として、江勢国境八風峠石榑峠の要衝を抑えたものと思われます。当時の八風峠は交通上の要路であって各国の商人や京都に行き交う人が多く通行したそうです。京極正高の子材宗は黄和田城を根拠地として在城しており金剛輪寺から年始の贈り物を材宗とその家老の市村某に届けたと伝えられています。これから後に近江の守護佐々木氏の代官小倉氏はこの小椋谷を領し家臣川副孫三郎吉永という人を八風峠の目付役としてこの城に住まわせたといわれており、昔からこの城が相当重要視されていたことの証拠であると思われる。 場所 小字上出 755番地
 黄檗城 京極黄檗城址 黄和田町上出 東近江市 滋賀県