社歴 祭神 角凝魂命 (ツノコリダマノミコト) 天湯川桁命(アメノユカワゲタノミコト)
由緒   当社は、醍醐天皇延喜元年12月の創立なり(社蔵文書)式内川桁神社、神崎郡二社の内の一社なりと云う元別当本覚寺あり。明治9年まで式内川桁神社大瀧大明神と称へ来たえしが明治10年以降専ら大瀧神社と称うるに至れり。 本社は古来より信仰厚く、神崎、愛知二郡の田は皆此の神の治むる所なりとして159個村に及ぶ地方の農家の崇敬ことに厚く、湯水の神と春秋初穂を献納したることは、元文元年(1736年江戸時代)の書類に歴史として今尚其の崇敬者多し、大日本神祇誌に 川桁神社今在萱尾村日大瀧明神伝言祀天湯川桁命社前有愛知川両岸大石状如桁水自其上而 下如暴泉呼日川桁其支流有湯川潤神崎、愛知二郡之田皆此神之所治云延喜列小社
例祭   七月一日 特殊神事(瀧飛の神事と云う)
 此の神事は往古より行なはれ、例祭当日祭儀に引続き氏子の青年に依って行なはれ、神社より一町余り上流奇岩重畳せる岩上より数十尺下深渕の大瀧に飛び込み青年の体躯は勇壮で躍動する龍神の如し 井水信仰の本源となすものなり。 昭和46年愛知川ダム建設に依り尊い自然と伝統と歴史は湖底深く没す。ここに記載して後世に伝えん。 大瀧神社
  大滝神社 萱尾町 東近江市 滋賀県