蛭子神社跡(八日市庭発祥の地)
 この付近は、狛の長者により筏川が開発されたと伝えられ、田の神や商売の神である蛭子(えびす)さんがこの地に祭られるようになりました。 延暦18年(799)最澄が開基とされる成願寺が太郎坊山の麓に建立され、門前である宿の蛭子神社前に市が立ち、本尊が薬師如来で紋日が八日であった関係から、地名の起源となったと思われます。  源平盛衰記にも『小脇の八日市』と記されています。佐々木氏が戦乱に巻き込まれた元弘・建武(1330年代)までこの地に市が立ち、八日市付近へ移動したものと思われます。その後火災で焼失した蛭子神社は産土(うふすな)神として地区の崇拝を集めましたが、明治初期の台風で祠が崩壊し、宿自治会館に移りました。現在の神社跡には大きな欅の切り株が残っていました。 また昭和30年(1953)頃まで神社跡には大きな松があり、一方南西150mの所に天狗のとまり松といわれる樹高20m余りの立派な松があり、いにしえの蛭子神社の大きさを偲ばせていました。平成18年(2006)の新設道路調査で多数の遺跡が蛭子神社前で発掘されています。  中野地区まちづくり協議会
 蛭子神社跡 宿 小脇町 東近江市