寛文4年(1664)に創設した八戸藩は、現在の三八城公園に城を構え、これを中心に城下町を形造っていた。そして城下警固のため出入りロには桝形、番所などを設けた。この場所は、八戸城下の西端にあたり、上り街道(江戸への道)や三戸、五戸への街道の出入り口にあたる要所であった。ここには図で見られるように土居を築き、惣門を建て、番所を設け、惣門御番人を置き、足軽を配して警備にあたらせた。この門を「惣門」と呼び、これにつづく町並みを「惣門丁」と称した。惣門がどのような形式であったか定かではないが、藩日記には天保4年(1833)に新しく惣門を建てた記録があり、鬼瓦が現存していることから、瓦葺だったと考えられる。  平成9年3月 八戸市教育委員会
総門跡 糠塚下屋敷 八戸市 青森県