二戸市指定史跡 昭和39年10月31日指定 
慶長9年(1604)2月に将軍である徳川秀忠は、諸国の街道筋に一里塚をつくるよう言い渡しました。幕府から命を受けた盛岡藩は、同年中に奥州街道の一里塚を大体完成させたようですが、慶長15年になって、やっと領内の一里塚の殆どを完成させたようです。堀野字馬場の追分石で八戸街道は奥州街道から分かれ、ここから仁左平へと向かっていきます。一里塚は街道を挟んで、二つあるものですが、ここにあったもう一つの塚は現在の道路を通す時に、すでにその形が崩れていたという理由から壊されてしまいました。現在二戸市では仁左平字本新田にも一里塚が残されています。  平成7年度設置
堀野一里塚 堀野道ノ上 二戸市 岩手県