本社の起こりについては、金海法印という山伏が、伊勢内宮の土砂を中洲(江戸川区東篠崎町辺り)の地に運び、内外両皇大神宮を勧請して神明社を建立したのに始まるといいます。金海法印は土地の開発と、人々の教化に努め、徳が高く行いが正しかったところから、多くの人々に「行徳さま」と崇め敬われたといいます。この「行徳さま」がやがて行徳の地名になったというのですが金海法印が行徳を訪れたのは大永7年(1527)のことといい、また天文11年(1542)のこととも、慶長19年(1614)のことともいわれています。(中略)現在、3年に一度の祭礼には、御輿渡御の行事が行われ、大御輿が町内を錬廻りますが、その勇壮な揉み方に特色が有り、揉み方保存会がその継承に当たっています。(後略)  平成2年3月  市川市教育委員会
(神明)豊受神社 行徳1丁目 市川市 千葉県