六地蔵 源心寺 香取1丁目16−26
永世年間(1504〜21)この地に不動尊像を祀った安楽院という草庵が建てられていたといわれ、葛飾誌略には「安楽院地中なり 古き草庵にして、昔は今井金蔵寺末にて正念寺といふ。源心寺建立有りしより地中となれり」とあります。この源心寺の開山は徳川家康の帰依を得た、浄土宗芝増上寺の中興観智国師で、国師の父は天正18年(1590)北条氏照の家臣として、八王子城で戦死した由木左衛門尉利重です。当時同じ八王子城で戦死した狩野一庵の子、狩野新右衛門は行徳に来住し、観智国師の教化に服して私財を喜捨(寄付)し、慶長16年(1611)新たに堂宇を建立したのが、この源心寺なのです。新右衛門は淨天と号し、荒地の開発を行い田畑を開墾し、村人に耕作をすすめましたが、このとき当代島の開発に当たっていた田中内匠と協力し、鎌ヶ谷の囃水を水源にして南西に流れる大柏川から水路をとり、八幡の東部から行徳、南行徳を経て浦安に流れる大灌漑用水路の開削に当たりました。この水路は内匠掘、または淨天堀といわれ、市川から浦安にかけての新田開発に、なくてはならぬ大切な用水路となったのです。 (以下略)  平成14年10月  市川市教育委員会