相之川地域も含めこのあたりは、昔は欠真間(かけまま)と呼ばれていました。由来については、はっきりしていませんが、東葛飾郡誌によると「口碑に伝え日ふ富地方は渺々たる蒼海なりしを、同郡真間村等の岡陵欠崩し、沈殿して遂に岡を梨、文明年間諸方の農民漸々移住して荒蕪の地を開拓し、始めて村勢を成し名くるに真間村の泥土欠崩して村を成したりというを以って、欠真間村と唱えたり」とあります。しかし、その他にもいくつかの説がります。  昭和62年3月 市川市
 ふじたけ味噌醸造 欠真間 南行徳