薬師堂は安永(1772)以前に、立てられた村の鎮守であった。のちお堂は温泉神社に移され、現在は宝珠のみ残っている。尿前境目番所から薬師堂まで1町55間 けわしい坂道で、尿前坂とも薬師坂ともいっている。この西方の丘陵を鍋越峠といい慶応4年(1868)4月、薩摩藩士内山伊右エ門綱次一行3名が、秋田へ向う途中、この峠で仙台藩士に殺害された。
薬師堂跡 尿前 鳴子温泉 大崎市 宮城県