観光温泉リゾート「お湯トピア瀬見」を目指した道づくり
 本事業は、建設省のマイロード事業に認定され、瀬見温泉の由来「義経伝説」を道路部・橋梁部の構造物にデザイン化して取り入れ、地域の財産とシンボルとして後世まで残し、観光地瀬見温泉及び地域の活性化を推し進めるものである。
   瀬見温泉の由来
文治3年(1187年)春、兄頼朝の追討の手を逃れ、奥州平泉に落ち延びる義経主従13名は、亀割山中で一夜を過ごした。ところが、予てより身重の北の方が急に産気づき、亀割山の子安観音で亀若丸を出産した。その若君の産湯を求め、弁慶が沢を下り瀬を渡って、紫雲立ち昇る川辺に辿り着き、大岩を薙刀で突き破るとふつふつと熱い湯が噴き出したという。若君の産湯としたこの湯こそが、瀬見温泉の開湯と今に伝えられている。 数日この地で滞在し、北の方の回復を待って、一行は再び平泉へと向かったのだという。 鎌倉時代の英雄、義経と弁慶のロマンに満ちた瀬見温泉は、江戸時代には新庄領内随一の温泉場として賑わい、また歴代の新庄藩主の入湯場ともなっていた。明治以降も瀬見温泉は今日までずっと、義経・弁慶ゆかりの温泉として人々に愛され、親しまれ続けている。
   和子めでて瀬見わたりゆく武者のかげ   最上町
義経大橋 大堀 最上町 最上郡 山形県