飯野陣屋大手口跡・古墳三條塚 下飯野 富津市 千葉県
飯野陣屋濠跡 昭和四十二年三月七日指定
慶安元年(1648)に保科弾正忠正貞が築造した陣屋の濠跡である。正貞は信州高遠の城主保科家に生れ、早くから家康に仕え大坂夏の陣には大いに活躍をした。慶安元年6月大坂城番となり、前封と合せ一万七千石を領し侯籍に列して飯野を居所とした。 元来陣屋とは軍営のことであるが、江戸時代には城を持つことを許されなかった小藩主の居所を称した。この飯野陣屋は面積約13万平方m余で、周囲に土塁や濠をめぐらした広大なものてあったと伝えられる。その堂々たる威容は城郭と比しても遜色なく、後世、日本三陣屋の一と称せられたという。濠跡は幅約5m、底部がV字形の薬研堀で、濠に沿って高さ約2mの土塁の一部も形を止めている。延べ面積は6620平方mである。 昭和60年2月1日  千葉県教育委員会  富津市教育委員会