珠名塚碑(内裏塚古墳) 二間塚 富津市 千葉県
内裏塚古墳の墳丘に立つ「珠名塚碑」  珠名(たまな)とはいったい誰なのでしょう。日本最古の歌集万葉集の巻9、1738番歌に 「上総末の珠名娘子(たまなおとめ)を詠める歌一首」という長歌があります。
「しなが鳥 安房につぎたる 梓弓 末の珠名は 胸別の 広き吾妹 腰細の すがる娘子の その姿(かお)の きらぎらしきに 花のごと 咲(え)みて立てれば 玉ぼこの 道行く人は おのが行く 道は行かずて 召(よ)ばなくに 門(か)どに至りぬ さしならぶ 隣の君は あらかじめ おの妻離れて 乞わなくに 鎰(かぎ)さへ奉る 人のみな かく迷へれば 容艶(かおよ)きに よりてぞ妹は たわれてありける」  というのがそれです。この二間塚あたりに住んでいた一美女のために、西上総一帯が大騒ぎであったことがよくわかります。この歌の作者は、奈良朝中期に朝廷に仕えた役人で、万葉集第一の物語歌人といわれている高橋虫麻呂といわれ、中にもこの珠名娘子の歌は、その代表作といわれるものです。とともに、この歌のもう一つの意義は、奈良朝時代の美女を知る、もっとも具体的な資料となっていることです。それにしても奈良朝の典型的美人像が、富津市の一女性によって提供されていることは、考えただけでも愉快ではありませんか。 平成8年11月吉日   飯野地域活性化推進協議会