紅屋商店 長須賀 館山市 千葉県
【年代】店舗:大正13(1924)年主屋:昭和元(1926)年
【構造・形式・規模】
店舗:桁行7.2m、梁間4.4m、土蔵2階建、外壁洗出し、切妻造り桟瓦葺、背面主屋と接続。 出店、14。0u、附属、片流瓦棒銅版葺。合計46.6u  
主屋:桁行9.4m、梁間5.4m、 2階建、切妻造り桟瓦葺。玄関、千鳥破風付。合計52.5u。
 館山市長須賀は、境川と汐入川に挟まれ、このニつの川と館山湾が形成した砂州に町場が形成されています。 江戸時代から、館山に向かう房総往還に沿って、北側の新宿から続く街並がありました。 明治11(1878)年、新井に館山桟橋が整備され、東京と館山が汽船で結ばれるようになると、干息や白浜方面からの荷が集まるようになり、桟橋に近い館山下町と長須賀の古い町場との間の通り沿いに、商店が立ち並ぶようになりました。 金物を商う紅屋商店は、現在の南房総市和田町にありましたが、明治26(1893)年に現在の地である館山市長須賀に移転、当時使用していた建物を和田から移築し、長須賀で開業しました。しかし、大正12(1923)年の関東大震災で店舗、住宅ともに倒壊しました。 いち早く復興し、商売再開のために店舗として活用されたのが、地震に酎えて残った蔵です。現在の紅屋商店店舗は、近くにあった店蔵を移築したものです。店舗2階に残る墨書から、大正13年3月に作業が完了したことかわかります。 震災後、長須賀一帯には、蔵を活用した店舗が数件あったといいますが、現存するのは紅屋商店店舗のみです。1・2階とも漆喰塗の防火扉が設置され、震災復興期の店舗建築の特徴をあらわしています。
 主屋は店舗背面(東側)に接続し、1階は8畳の仏間、2階は床・棚・付書院の8壷の座敷と8畳の次の間らなります。 震災に耐え、倒壊をまぬがれた店蔵を活用した建造物として、大変責重なものです。また、ほほ同時期に建てられた主屋は、店舗との繋がりをもち、当時の住まいの形態を今に伝えています。※主屋の一般公開はしていませんので、ご了承ください。  平成24年3月館山市教育委員会