成龍寺・久保田城跡 久保田 袖浦市 千葉県
当成龍寺の金城は元亀年間(1570年代初め)に南総里見八犬伝に記される里見氏によって築城された「久保田城」の史跡で、その規模は北西〜南西方向に380m、北東〜南西方向に230mを有し、構造的には六ヶ所の郭から構成されておりました。里見氏の勢カが上総から下総に伸張した時期、里見氏権カの最盛期に久保田湊とともに江戸湾の海上交通上要衝の地として城郭が築かれましたが、後年、里見氏の勢力後退に伴ない、小田原北条氏の城となり、北条氏勢カによる西上総進出の拠点で、戦国時代末期には城兵の数、2500人を擁していました。