将門塔 惣社1丁目 市原市 千葉県
将門塔は、もと菊間親王塚古墳の墳丘上に存在し、「将門の墓」として伝承されてきた。しかし、塔身には応安第五壬子十二月三日の銘が刻まれ、将門の命日、天慶三年二月十四と違い、さらに塔の形式も南北朝時代と考えられ、将門と結びつく点はない。 石質は、凝灰岩で、総高1.5m、基壇部の側面に二区の輪郭があり、複弁反花座は堀が深い。その上の基礎表面には輪郭が二区存する。塔身は損耗が激しく、四面に種子を刻んだと思われるが、正面の「アク」の梵字が判読出来るに過ぎない。隅飾りは、外側の直線が笠部の底辺に対して直立し、内側の孤線は二孤線となっている。相輪は紛失して無い。 昭和58年11月  市原市教育委員会