上総国分寺跡 惣社1丁目 市原市 千葉県
国分寺は、天平13年(741)聖武天皇の詔によって全国六〇余国に造営された僧寺(金光明四天王護国之寺)と尼寺(法華滅罪之寺)とからなる国立の寺院です。僧寺は釈迦如来、尼寺は阿弥陀如来を本尊とし、国家を護るための金光明最勝王経、大般若経、法華経の護国三法を根本経典としました。また、全国国分寺を統括する寺として、奈良東大寺・法華寺を総国分憎・尼寺とし、ここに律令国家の目指した日本全土を仏法に護られた地にするという仏教国家が完成しました。 しかし、国家の崇高な理想とはうらはらに造営事業は困難をきわめ、その完成には、民衆の労役と地方豪族の協力を得て、20年近くの歳月を要しました。 日本の歴史の中で最大の国家事業であった国分寺も、国を護る寺であるがゆえに民衆の支持が得られず、律令国家と運命をともにしました。個人の救済を目的とした中世仏教は、こうした国家仏教の廃虚の中から次第に芽生えていきました。   市原市教育委員会