寒川神社 寒川町1丁目 中央区 千葉市 千葉県
一説には縁起式内社の寒川神社と言われ、寒川地区の総鎮守で、古く神明神社または伊勢明神と呼ばれていました。天照大神を主神に寒川比古命、寒川比賣命を脇神にまつり、天正19年(1591)徳川家康も社領十石を寄進していて、明治元年(1868)に社号を寒川神社に改めました。昔は、海上往来の船が同社沖にさしかかると礼帆といい帆を半ば下げて航行し、また社前を馬上で通行する者は下馬して敬意を表したと伝えられる。昭和39年の出津海岸の埋立てまでは、8月20日の祭礼に海岸の大鳥居から神輿が勇壮に海に入る海上渡御の古式(お浜下り)が行われていました。 当社はたびたび火災にあい多くの宝物を失いましたが、神鏡・神幣・獅子頭は焼失を免れ現在に伝えられています。特に獅子頭は、桐材漆塗で刻法はカ強く、全体に古雅であり、御神体として祀られています。また頭の内側に文明13年(1481)の修理朱墨銘があるが、様式が法掻法隆寺に伝わるものと類似している所があり、製作年代を鎌倉時代とする説があります。平成10年3月  千葉市教育委員会