検見川神社 検見川町1丁目 花見川区 千葉市 千葉県
検見川神社周辺には「大賀蓮」で有名な検見川泥炭遺跡があり、三隻の丸木船が出土し、縄文時代すでに人々が住んでいた事がわかります。古くから住んでいた人々は自然の中に神々と共に生活していました。 検見川の地で祭祀が始まったのはいつ頃か定かではありませんが、人々が定住し始めた縄文時代には土俗的な祭祀が営まれていたと思われます。 当社の北隣の地は古くから「嵯峨」と称していて、嵯峨天皇ゆかりの地と伝えられ、朝廷との関係を物語っています。 検見川神社の御創祀は、平安時代清和天皇の御宇貞観十一年(八六九)全国に流行した疫病を鎮めるため、朝廷では京都の神泉苑に矛六十六本(全国の国の数)を建て、御霊会(今日の祇園祭)を斎行しました。此の時祇園社(現在の八坂神社)の御祭神素蓋鳴尊の御分霊を矛に鎮めて国々に頒ち、疫病消除を祈りました。その時下総国で祀られた所が嵯峨の地でした。 (以下略)
御神徳
江戸湾(現在の東京湾)で漁をする大型帆船「打瀬船」の保有数一位を誇ったこの検見川の地に鎮まります当社は、湾内を往来する全国からの船の守護神として崇敬されてきました。海上での船を四方八方縦横に操る舟人にとって、検見川大明神はまさに生命を守護して下さる神様で、その信仰は蔦く、今日に継承されています。以下略