文章と言葉の好き嫌い

その1 よい文章と悪い文章

最近、文章の書き方に関する本を何冊か読んだ。いずれにも共通した、基本的なルールがある。

1.文は短く。
2.主語と述語は近くに。
3.同じ語や文字を繰り返すな。
4.漢語、漢字を多用するな。
5.余計な修飾語は省け。
6.「…が、…」による文の接続は避けよ。
7.書き出しが大事。
8.要は、分かりやすく読みやすく。
9.リズムがあればさらによい。

私は夏目漱石の文が好きだ。

山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。(草枕)

吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。(吾輩は猫である)

はたと思いあたった。悪文の極めつきは法律文ではないかと。哲学書もそうだ。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。(日本国憲法 前文)

文が長い。「し」の反復が気になる。述語が多い。漢字、漢語が多い。ダラダラしていてリズム感がない。読んでいて息切れがする。続きを読もうという気がおこらない。

この乾燥した沈滞したあさましきまでに俗気に満ちたるわが哲学界に、たとえば乾からびた山陰の瘠せ地から、蒼ばんだ白い釣鐘草の花が品高く匂い出ているにも似て、われらに純なる喜びと心強さと、かすかな驚きさえも感じさせるのは西田幾多郎氏である。(「生命の認識的努力」より 倉田百三)

文が長い。述語が待ちきれない。余計な修飾語が多い。

批判はたやすい。自省せねば。



その2 紋切型の気になる表現

文のことではなく、語句の話である。
「よい文章の書き方」の本に殆どといっていいほど引き合いにだされる見本がある。

・・・・する(している、感じる、思う、etc)
今日この頃である(です)。

どの先生方もこれだけは使うなとおっしゃっている。どこが悪いのだろうと思うがなぜか嫌われている。紋切り方の誘惑にかられるのは、それを使えば格別な努力なくて無難に一文を終えられるからであろう。確かに、使ってみると、実にスマートに終わることができる。文章家はそれが鼻持ちならないのだ。見ただけでうんざりするらしい。主婦の手記や新聞寄稿類に多い。私も時々ハタと気づいて直すことがある。どう直すか? 単に今日この頃の前に「。」を打って止めればよい
と思う今日この頃である)

個人的な好き嫌いの話だが、ひごろ見るたびに気になる言葉づかいを挙げてみる。いづれも素人でなくプロたちがつかうから、よけい気になる言葉づかいだ。

・・・・が
見え隠れする

政治・経済記事に多い。毎日、新聞のどこかで見かける。一見分析的に聞こえるが、安易な紋切り型の終わり方である。政治家や経営者の考えていることなど見え透いているのに、わざわざ見え隠れしているという。記者は婉曲に(そしてかすかに文学的に)言ったつもりである。

・・・・の味(雰囲気、etc)を
醸(かも)し出している(います)。

性別を問わず、旅行やグルメの紹介記事、テレビ番組(どこかの住宅リフォーム番組でのナレーションに1回はでてくる)に多い。上品な文学的表現で余韻を残して終わろうとしているのだろうが、堂々と正面きっていわれるとちょっと照れてしまう。・・・の味がする、・・・の雰囲気がある、・・でよい。

・・・
はこれが初めて(です)。

新聞記者とアナウンサーの専売特許で、他の人はつかわない。ニュース・バリューの裏づけとしてひとこと付け加える言葉だが、安売りしているきらいがないではない。どんなにつまらないものでも条件を重ねていくと限りなく初物に近づいていくものだ。

日本男子で100mを10秒きったのはこれが初めてです。
日本女子で100mを12秒きったのはこれが初めてです。
aa県民で100mを14秒きったのはこれが初めてです。
bb市民で100mを16秒きったのはこれが初めてです。
cc町民で100mを18秒きったのはこれが初めてです。
cc町出身の50歳代男性で100mを1分きったのはこれが初めてです。
cc町出身草加市在住の50歳代男性で100mを走りきったのはこれが初めてです。
等など。どこまでがニュースか?

・・・
というわけ(こと)であります。

政治家の専門用語。原因ー結果、あるいは結果ー理由という因果関係の有無にかかわらず濫用される不思議な運命をもつ言葉使いだ。言われているほうは、なんとなく説得されているような気分になる。冷静になって解釈すると多くの場合何もいっていないに等しい。時間、場を持たすだけのためにある。

今年の梅雨は雨がすくなく非常に暑かったというわけであります。梅雨がおわると夏がはじまるというわけであります。夏は暑いということでありまして、秋が待ち遠しいというわけであります。

最後に、国語の専門家の間で槍玉によくあがる若者言葉を挙げて終わる。「なんの意味かわからない」とおっしゃる。私には合理的な表現で、これこそ言葉の進化というものだろうと思っている。どうしてわからないのかわからない。

・・・・
1000円(1万円、5千円、etc)からいただきます(お預かりします、etc)。

コンビニのレジでおなじみの言葉だが、国語の専門家や文章にうるさい先生方にはいたく評判が悪い。
なぜ「・・・から」なのかだって? おつりがあるからにきまっているじゃあないか。
ちょうどのときは決して「から」とはいわない。消費税が内か外かわからなかったころ、1000円札をだしてじっと突っ立っていたことがしばしばあった。右手を半分だしそうにしていると、レジの女の子が「ちょうどです」と言ってとどめをさした。「・・・から」といわれると安心しておつりを待つことができる。消費者の心理をおもんばかった心憎い言葉だ。