西部の旅 (1992年夏)
この年から連続二週間の休暇を取ることになった。二週間あればかなりの旅行ができそうである。ニューヨークからコロラド州デンヴァーに飛び、そこから小型機でジャクソンホールに行く。そこで車を借りてイエローストーンからユタ州を南下する。キャニオン巡りをしたあと、モニュメン・ヴァレーをみてフェニックスで車を捨て、空路ニューヨークまで帰ってくる。都合、12日間の旅であった。


グランド・テトン国立公園

ジャクソン・ホールからイエローストーンにつながるハイウェイの左手に、湖を隔てて南北にのびる短い山脈がテトン山脈である。標高4200mのグランド・テトンを筆頭として、12の峯は3600m級の山で、10をこえる氷河を抱いている。既に標高2000mの盆地から、更に2000m突如空に盛り上がった唐突さを与える。
この地域には19世紀の後半になって、農民や牧畜業者などの入植がすすみ冬の間も人が住むところとなった。長くイエローストーンへの入り口としての役割の域を脱しなかったが、1950年に独立した国立公園となった。

アラン・ラッド主演の西部劇の名作、「シェーン」で、主人公の男は
「いちど人を殺すようになった男はもうあとへは戻れないんだ」
と少年に言葉を残して、夕日に染まるグランド・テトンの山に向って立ち去って行く。その背に向かってある限りの声をふりしぼり、
「シェーン、カムバック!」
と呼び叫ぶジョーイ少年の声がテトン山脈に幾度もこだました。
頼もしい大人への尊敬と憧れを、あれほど素直に表現した子供もすくないのではないか。同じ思いを少年の母親(ジーン・アーサー)も抱いていたはずだが、人妻である彼女はそれを表に出すわけにはいかなかった。
彼女は静かにジョーイに言い聞かせる。

Don't get to liking Shane too much...I don't want you to.. He'll be moving on one day, Joey. You'll be upset if you get to liking him too much.
シェーンをあまり好きになってはだめよ…。そうなってほしくないの…。彼はいつかは行ってしまうの。ジョーイ、わかって? すきになればそれだけ、そのときつらい思いをするだけだから…

彼女はそういって必死に自分に言い聞かせていたのだった。


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イエローストーン国立公園  

ワイオミン州の西北隅、モンタナ、アイダホ両州をかすめてアメリカ最初の国立公園イエローストーンがある。面積9000平方kmは四国のおよそ半分の広さである。ちなみにアメリカ三大国立公園ともいえるグランド・キャニオンとヨセミテとの比較をしてみると、ここが最初に国立公園として選ばれた理由がわかる。
         
  イエローストーン ヨセミテ グランド・キャニオン
指定年 1872 1916 1919
面積(平方キロ) 9000 3000 4800
トレイル総延長(キロ) 1770 1350 49
入園者数(1997年)(万人) 301 405 500
        
森林、草原、河川、湖沼、滝、岩峰、植物、動物など、公園のもつ自然の多様性においてはイエローストンとヨセミテは双璧をなすが、火山性特質という一点でイエローストーンが優れる。イェローストン公園は世界の間欠泉の60%を占めるといわれる。数百もある間欠泉や温泉をまじかに見て歩けるトレイルを持つ公園は他に例を見ない。広大な公園区域はその地形的特徴によって五つのカントリーに分けられている。手の形をしたイエローストーン湖がある南東部は、レイク・カントリーである。イエローストーン湖の北から流れ出たイエローストーン・リバーは、キャニオン・カントリーに入り、草原がひろがるハイデンバレーをゆったり下る。川では釣り人やキャンパーが、草原では草をはむバッファローやエルクが、ゆっくりと流れる時間に身をまかせている。

「イエローストーンのグランド・キャニオン」と呼ばれるキャニオンには落差33mのアッパー滝と、落差94mのローワー滝の二つの滝がある。ローワー滝の落差はほぼ華厳の滝と同じで、ナイアガラの約二倍である。滝の崖縁までトレイルが整備されていて、眼前で緑色の水流がしぶきを上げて滝壷へ落下していく瞬間を見ることができる。

川の南壁にそっていくと
アーティストポイントに行き着く。そこから眺めるマスタード色の渓谷とロウアー滝のキャニオンは絵になる景色であった。渓谷の黄色い壁面は硫黄を含んだ熱水と蒸気が、長い時間をかけて岩を変色した結果である。これがイエローストーンのいわれとなった。

キャニオン・カントリーの北、公園の北東部にあたる区域はルーズベルト・カントリーとよばれる山岳地帯である。駅馬車で草原を駆ける、西部の生活を体験できるらしい。
公園の西側半分は上下二つにわかれ、北半分がマンモス・カントリーで、南半分がガイザー・カントリーである。この両地域に間欠泉(ガイザー)、冷泉(プール)、石灰石のテラスなど熱水現象の造形が集中していて、公園の中でもっとも美しい密度の濃い場所である。私たちは二泊三日の大半をこの区域で過ごした。

これらの五つの区域の見所を余すところなく、8の字状に南北二つのループ(北のアパーループは155km、南のロウアーループが113km)が結び付けていて、各要所からはトレイルが網の目のように巡らされている。湧き出る熱水や、湿地の上を散策するため、トレイルの多くが板歩道である。トレイルを全部踏破したとすれば1800km近くにもなり、日本の本州縦断にも匹敵する途方もない公園だ。

南のロウアーループのほぼ南端が公園の入り口にあたり、そこに
オールド・フェイスフルとよばれる公園を代表する間欠泉がある。ほぼ一時間おきに120年にわたって規則正しく熱水を吹き上げてきた。人々は噴出の時間が近づくと三々五々集まってきて、遠くから取り囲むように輪を作る。最初は緩やかに水を噴き上げ、次第にエネルギーを貯めていっておよそ三分後にクライマックスの大噴出を演じ、熱水と真っ白な蒸気は60mもの高さに達する。4分の仕事を終えたこの忠実な間欠泉は、なにごともなかったかのように再び1時間の休息にはいる。

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アパー・ガイザー・ベイスン

オールド・フェイスフル・ガイザーを起点として、70ものガイザーが集中するアパー・ガイザー・ベイスンが広がる。それぞれのガイザーやプールには特徴的な個性があって、地図の説明書きと見比べながら写真に収めて廻る。トレイルを一周するのに2時間を越えたがそれだけの価値があった。様々な水の色は、温度や酸性度によって異なる繁殖微生物と、鉱物の組み合わせによるという。緑、黄、青、赤、橙、茶、灰、白、これらが微妙に混ぜ合わさって多彩色を織り成している。

キャースル・ガイザーは、絶え間なく熱水を吐き出し、まわりのテラスは赤茶けて焼け爛れているように痛々しい。沈殿物が木を埋めてしまって洞窟のような形をしたグロット・ガイザー。美しさを誇示するように華やかなのはビューティー・プールである。

ジャイアント・ガイザー、リバーサイド・ガイザーを経て、トレイルの行き止まりにモーニング・グローリー・プールが潜んでいる。朝顔のような形をしているところからこの名がついた。青、緑、黄色の色合いが日光の映え加減で微妙に変化する。バクテリアが創り出した傑作といえるが、それにもまして水の透明度が際立っていた。

ブラックサンド・ベイスン

メインロードを隔ててオールド・フェイスフルと反対側に黒ずんだ地面の一角がある。そこにあるエメラルド・プールは、水中の黄色い藻の色に空の青さが合わさってエメラルド色になるという。他に、いつも夕日を写しているようなサンセット・レイク、文字どおり虹のような色合いが美しいレインボウ・プールなどがある。

ビスケット・ベイスン

アパー・ガイザー・ベイスンからすこし北に行ったところに、またしても美しい熱水泉の一群がある。透き通るような青色のサファイア・プール、宝石のようなジュウェル・ガイザー、貝の形のシェル・スプリング、黄色が毒々しいマスタード・スプリング等。

ミッドウェイ・ガイザー・ベイスン

メインロードはファイヤホール川にほぼ沿って走っている。その川べりにエクセルシオール・ガイザーがあり、大量の熱水を絶え間なくファイヤホール川に注ぎ込んでいる。熱水は川で冷却され、盛んに湯煙をあげる。火の穴と名づけられたこの川は、初めてみた人々が蒸気を火の煙に見間違えたことによる。穴は谷を表す。この川は蚊ばり釣りで世界的に知られていて、虹鱒、川鱒に挑戦する釣り人の姿が見られる。

グランド・プリズマティック・スプリング(大プリズム温泉)は直径百十メートルと園内最大の温泉である。透明なエメラルドブルーと周囲を縁取る黄色、オレンジ、茶色のコントラストが見事である。熱水の蒸気や硫黄の臭いが立ち込める泉の上部まで歩道橋で入り込むことができる。

ロウアー・ガイザー・ベイスン

ミッドウェイ・ガイザーの北方、オールド・フェイスフルとマディソンのほぼ中間点に広がるガイザー・ベイスンである。赤いホット・レイク、サファイアブルーのファイアホール・レイクが美しい。また道路の反対側にはファウンテン・ペイント・ポットと呼ばれるマドポット(泥泉)が広がる。煮たぎった泥が泡をたてている泥池で、ぶきみな光景であった。

ノリス・ガイザー・ベイスン

上下のループが合流するマンモス・カントリーにノリスと名づけられた間欠泉域がある。北のポーセレイン・ベイスンと南のバック・ベイスンに分けられる。
イエローストーンの中で最も新しく、活発な熱水現象活動を行なっている地域で、いたるところに立ち枯れた木々を見ることができる。アパー・ガイザー・ベイスンでみた澄み切った精練されたプールでなく、足元は泥沼のようで水は白っぽく濁っていて、硫黄臭い蒸気があたり一面に立ち込めている。全体がまだ工事中のように雑然としており、荒涼とした風景である。

マンモス・ホット・スプリングス

ノリスから北へ35km行ったところに、マンモス・ホット・スプリングスがある。
ここにはテラス・マウンティンという石灰の段丘や岩山のような固まりが集まっている。地下から湧き出た温泉に含まれる石灰分が蓄積して、長年のうちに幾重にも重なったテラスや、奇岩を形作っていった。

ミネルバ・スプリングジュピター・スプリングキャナリー・スプリングなどのテラスの頂上からは常に温泉が流れ出ていて、テラスの形状は絶えず変化している。段差には鍾乳洞にあるつらら状の石灰岩を見ることができた。テラスの色は白を基調としつつも、チョコレート色や、ウグイス色、クリーム色などとの混合色で、流れ出る温水に濡れてどれも艶々しい。

テラス・マウンティンの裏にはアパー・テラスと呼ばれる区域があり、さらにいくつかのテラスが続く。ホワイト・エレファント・バック・テラスは白像の背中の形をした巨大な石灰岩である。

私たちは翌朝はやく、マディソンから左折してイエローストーンに別れを告げた。時は八月の下旬である。車の窓に雪が遠慮がちに降りかかってきた。例年よりも涼しい夏だった。冬のイエローストーンも美しいと聞いている。



ソールトレイク・シティ


イェローストーンの西口から出てアイダホ州からユタ州に入り、キャニオン地帯に向かう途中にソールトレイク・シティを通過する。言うまでもなくモルモン教の聖地である。聖地というより、一夫多妻宗教が逃げ込んできて独立国をめざした反体制拠点である。本部なる教会の敷地に入ってみた。世界最大級のパイプオルガンで有名であること以外、予備知識がない。調べる興味も持っていなかった。例によって、数枚の記念写真を撮っただけで引き上げた。

ソールトレイク・シティからブライス・キャニオンに行く途中で「リトル・サハラ」
「ピンクサンド」と名づけられた小規模な砂丘や、「シーダー・ブリークス」天然記念物がある。車を降りて一休みするのに手ごろな場所であった。


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ブライス・キャニオン国立公園  (キャニオンランド共通)

ユタ州をほぼ縦断したところからキャニオン巡りが始まる。その第一号がブライス・キャニオンである。

私の経験でいえば、風景の感動というものは、最初に目が捕らえた光景の印象でほぼ決定づけられる。公園内をドライヴするうちに、じわじわと感動がしみ込んでくるという性質のものではない。ヨセミテがその典型であろう。トンネルを出た最初の眺めが神の庭の全景をとらえて、すべてを見てしまったような気がした。あとは詳細を確かめるためのものか、角度を変えた部分景のバリエーションに過ぎなかったように思う。グランド・キャニオンも入口を入ったところで、壮大な峡谷美の感動を得ることができる。

その唯一の例外がイエローストーンではないか。そこは一目でみわたすことができない平坦な土地で、しかもその美は地面を覗き込まねば見つからない場所が多い。広大な砂漠に小さなオアシスを求めて幾時間も歩かなければ総括できないじれったさがある。

ブライス・キャニオンでの最初の光景は、その赤い谷と垂直の岩であった。淡い多色染めで、縦の線よりも虹のような横縞が美しいグランド・キャニオンと対照的である。ブライス・キャニオンはまた、グランド・キャニオンのような落ち付きがなく、年が若く見えた。どっしりと構えた台地の峡谷に対し、ブライス・キャニオンは尖塔岩の密林である。尖塔のそれぞれが水晶のように先鋭であるが霜柱のように繊細に見える。老若の違いはそれらの地層年代だけではなくて、谷の装いにも表れているようであった。

公園は56kmのパークロードが崖縁にそって南北に長く伸びている。入り口から余り遠くない地点に、
サンライズ・ポイントとサンセット・ポイントと名づけられたビューポイントが設けてある。時間を合わせたように、カメラを胸にぶら下げた連中が集まって、朝日や夕日に映えるすばらしい峡谷の景観をフィルムに納めるのである。時間にすればわずか10分ほどの連帯感を共有する。

パークロード終点のレインボウ・ポイントから10km近くに
ナチュラル・ブリッジがある。道路沿いに、黄色、白色、ピンク色の岩肌の岩塊がアーチを形作り、その向うにキャニオンの広がりが覗いている。アパラチアの旅で寄ったナチュラル・ブリッジよりも小ぶりであった。この他ユタやアリゾナの西部にはナチュラル・ブリッジとかアーチとか呼ばれる岩のくり貫きが多くあり、中でもアーチズ国立公園はモニュメントバレーと並んで西部の原風景として名高い。

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ザイオン国立公園

ブライス・キャニオンからシーダー・ブレイクス国定記念物を経て二番目のキャニオン、ザイオン峡谷に入る。
付近のグランド・キャニオンやブライス・キャニオンとの競争が激しいこのザイオン・キャニオンは、南のグランド・キャニオンの雄大さと北のブライス・キャニオンの繊細な岩の美観を併せ持つ。

他方、先の二つが崖からの雄大な峡谷の景観を見晴らせるのに対して、ザイオンは谷底から巨岩の威容を見上げる格好になる。ワールド・トレードセンターの展望レストラン、「世界の窓」からマンハッタンの全景を見晴らすのに対し、プラザから首を反らして広角レンズを覗き必死に被写体のすべてを捕らえようとしいている違いがある。写真家にしてみれば明らかに前者のほうが好ましい。

このハンディは、その一方で、谷底での活動が楽しめるという利点を提供する。ヨセミテ・バレーの豊かな生命の息吹をザイオンの谷でも感じることができる。ザイオンの風景は季節によって華麗に装いをかえる。春は雪解けの水が崖面をほとばしり、初夏には新緑と咲き乱れる野生の花で色どられる。秋になると紅葉が谷を覆い、冬には雪と氷を抱いた岩肌が静寂のなかに沈む。谷の多様性においてザイオンはグランド・ブライス両キャニオンにまさる。

岩が柔らかい砂岩であることがその多様性の一因でもある。「ヴァージン・リバー(乙女の川)」によって削り取られた迷宮のように狭い谷の上方に、乙女川からの標高差6、700m近い鋭い砂岩の崖が聳え立っている。ヨセミテのエル・カピタン(標高差1080m)級の巨岩が寄り集まっていると思えばよい。それらに挟まれた深い峡谷は、所によってはたかだか10mの幅しかない。

公園の底をドライブすると左手に三つの巨大な岩峰が聳え立つ。左からエイブラハム、イサーク、ヤコブと名づけられ、あわせて司教の宮殿とよばれる。ザイオン自体がエルサレムのシオンの丘の意で、この谷は旧約聖書との関わりが深い。
キャニオンの奥近くにエンジェルズ・ランディング(天使の舞降りた場所)、グレイト・ホワイト・スローンとよばれる独立峰が覆い被さるように立ちはだかる。

ドライブウェイの終点がザイオン・キャニオンの巨大な崖の壁に囲まれたシナワハ寺院とよばれる一角である。そこには垂直にそびえる絶壁に、通り抜けのできないブラインドアーチが彫りこまれている。トンネル工事を2mであきらめたような跡にも見える。狭い絶壁に挟まれて乙女川はさらに谷を溯っていく。水は浅く足のくるぶしほどもない。車を降りて、ナローズとよばれるその浅瀬を上流に歩いていくハイカーが多い。

かなり距離をおいた飛び地にこの公園の分家のような
コボル・キャニオンがある。途中に馬を放牧した草原があり、そこから見る色彩豊かなコボルの岩群峰の景観は、一種異様な雰囲気を発している。特に私たちが見たそれは、黒く覆いかぶさった積乱雲の隙間からもれる一条の光線が黄色の地層に反射して、強調されたコントラストが一層不気味な雰囲気を漂わせていた。

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グランド・キャニオン国立公園

ザイオンから三番目の、そして本命のキャニオンであるグランド・キャニオンに向かうのであるが、サウス・リムに至るには遠く迂回しなければならない。レイク・パウェルの南端、ペイジをかすめて、最後の目的地、モニュメント・バレーの西方を南下するのである。

15年前にここに来たときはフラグスタッフから北上した。いずれにしてもグランド・キャニオンは不便なところにある。とにかく、セントルイスに留学中の冬休みを利用して、冬のグランドキャニオンを見に行こうと、かなり強引な長距離ドライブを敢行した。それほどまでにグランドキャニオンは私にとっての憧れの場所だったのである。その第一景は期待に違わず、ただ無言のままで立ち尽くしていたことをおぼえている。人のほとんどいないサウス・リムに立って雪まじりの寒風のなかで自然の最高傑作の一つを厳粛に鑑賞していた。子供たちにもアメリカに住んだ以上はここを見せておかねばならない。

ただ今回は少々趣が違う。観光のハイシーズンで団体や子供連れで大峡谷の崖縁は大賑わいである。雪と寒さの中での静粛な感動にくらべて、短パン、Tシャツ姿の夏休みバケイショナーの感動は開放的でかつ行動的であった。それもまた、青空と白雲を背景に広がる地層の大パノラマにとっては、歓迎すべき賞賛の様式であったろう。

10数kmのトレイルをたどって谷底に降りることもできる。片道一日仕事の活動で一泊二日の行程となる。ミュールにまたがっていくツアーも利用できる。コロラド川が流れる谷底にはハバスパイ・インディアンが生活しており、彼らの住居地域を訪ねることができる。

グランド・キャニオンの風景を組曲にしたのがグロフェの名曲「グランド・キャニオン(大峡谷)」である。日の出、赤い砂漠(ペインテド・デザート)、山道を行く(オン・ザ・トレイル)、日没、豪雨(クラウドバースト)の五曲からなるが、谷底へのハイキングの様子をえがいた第三曲「山道を行く」が最もよく知られている。谷に響くミュールの足音がのんびりと聞こえてくる、ほほえましい曲だ。

前回は東端のデザートビューまで行って、足早におり返してきただけだった。都合2時間もいただろうか。そもそもここに宿を確保していなかった。今回はこのヴィレッジで一泊予約してある。グロフェの曲にあるように、日の出と日没のグランド・キャニオンを撮るためである。
――日中は風景が平面的で単調になり、フィルムを無駄にするだけだ――と、ある本に写真家からの警告があった


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キャニオン・デ・シェイ国定記念物

最近までCHELLYの読み方を知らなかった。英語読みをすればチェリーとなる。スペイン語ではシェイと読み、岩という意味だそうだ。「岩の峡谷」という、当たり前のような話である。距離的には、モミュメント・バレーとペトリファイド・フォレストのほぼ中間に位置する。国定記念物という地図の表示に引かれて寄ってみた。

ところで「国定記念物」は「ナショナル・モニュメント」の訳で、人によっては「国定公園」と訳す場合がある。ナショナル・パークは文字どおり「国立公園」だが、ナショナル・モニュメントを国立公園のワンランク下の国定公園と解するか、パークとモニュメントの使い分けにこだわって、「公園」の語をさけ「記念物」とするか、によって訳語が違ってくる。私は後者によった。

さてこの岩の峡谷は一見してグランド・キャニオンよりも更に古そうだった。岩が丸みを帯びて優しそうだ。谷底も浅いだけでなく広くて見晴らしがよい。下を覗き込むと緑が広がり人の営みを見ることができる。細い川筋に沿って畑が耕されている。家畜も飼われていて、馬のいななきが聞こえてきそうである。

この地もモニュメント・バレーと同じく、ナバホ・インディアンの居留地区内にある。今までみた厳しい自然造形としてのキャニオンと違って、人の息遣いのする優しくて美しい岩の谷間をみることができた。


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モニュメント・ヴァレー国定記念物  

さて、フィナーレはモニュメント・バレーである。ここを最後の目的地に選らんだのには私なりの理由があった。イェローストーンのグランド・キャニオン、ブライス・キャニオンにザイオン・キャニオン。パウェル湖もキャニオンである。本命のグランド・キャニオンとその残り火のようなシェイ・キャニオン。これだけみればどんなキャニオンにも驚かなくなる。食後のデザートとして美味しい口直しを用意しておくことにしたのである。

もう一つの理由は「西部」を見たかったことである。キャニオンは西部的な風景ではあるがイェローストーンのガイザーとともにこれらはロッキーの大自然が創り出した山の風景である。西部劇の映画にはあまり出てこない。イェローストーンもグランド・キャニオンもワゴンと騎兵隊とインディアンが疾走するには都合が悪い。西部の原風景とは、彼らが土埃をたてて奇岩の合間を駆け抜ける風景でなければならなかった。その場所はアーチズ国立公園とこのモニュメント・ヴァレーでしかない。

それほど人気の高いスポットであるわりにはそこに至る交通の便はよくない。モニュメント・ヴァレーにたどり着く過程は正直なところかなりはがゆいものであった。なかなか映画でみなれた憧れの風景がでてこない。地図のマイレッジによれば見えてもよさそうなのがいやにもったいぶっている。それらしき岩が一つ見えてきてやっと着いたと思ったが岩はそれっきりで、まだ退屈な荒野がつづく。ようやく遠景に岩の連なりが見えてきた。

近づくにつれそのスケールが、いままでみてきたキャニオンの広がりに比べると小さなものであることがわかってくる。荒野の一角に奇岩を取り揃えた手作りの公園のようである。入口近くにはインディアンが出店を並べていた。壷や色鮮やかな織物、銀製品やトルコ石のジュエリーなど。皮製品も豊富である。それらは一べつしただけで、車は公園の入口に直行する。この土地はナバホ・インディアンの居住地区内にあってこの公園の管理や運営はインディアンに任されていた。事実この場所の正式名称は「モニュメントバレー・ナバホ族有公園」である。セントルイス時代、アルバカーキーで身近に出合って以来の、インディアンの人々との再会である。なんとなく同胞意識が働いて、日本語でも通ずるような錯覚がよこぎる。

中央のビジターセンターに降り立って改めて270度の角度を見渡すと、キャニオンに比べたスケールの劣勢は懐かしい映画の郷愁にかすんでしまって、私はしばらく家族との対話を拒んで一人至福の時間に酔った。ロケ地としてはうまくでき過ぎている。映画のロケにこれ以上の広さは要らないことを自分の目で納得した。

地面の隆起と陥没と風と雨の風化だけでどうしてこのような作品を作り上げるのか。ヨセミテは山、岩、滝、川、牧場、それに赤い巨木と緑の総合芸術であった。グランド・キャニオンは長大な台地と峡谷の芸術である。イェローストーンから間欠泉をとりあげてもキャニオンと高地性湿原は残る。それに対しモニュメント・ヴァレーは岩だけの単品芸術である。ジョン・フォードは「駅馬車」「荒野の決闘」や「黄色いリボン」でその芸術品を最有効に利用した。

映画にとりいれたのはジョン・フォードだけではない。スタンレー・キューブリックはその名作「2001年宇宙の旅」で、この場所を、西部の原風景をはるかにさかのぼって「人類の曙」に借景した。猿人とバクのような動物が岩と水溜りだけの風景のなかで、「道具の時代」の到来を待っている。遠くにみえる岩山になじみある姿は見出せなかったが、月表面とも思われる原始的な風景はまちがいなく、このモニュメント・バレーにちがいなかった。

車でそろりと下に降りた。激しいでこぼこ道で車体が左右に大きくゆれる。それが自動速度調節の役目をはたして、30マイルを越えては走れなくなっている。またそれより速く走りたい理由もなかった。これをアスファルト舗装しようとする文明の誘惑にインディアンは惑わされることはない。それぞれの岩には名がつけられていて、画廊で絵を鑑賞するようにプログラムと岩の間に目を往復させる。しかし、近づいて見たり、遠ざかって見たりするのは画廊のようにはいかなかった。道が一方通行であるため近づいて見る風景と遠ざかって見る岩の形が異なり、各々の瞬間が一回きりの風景であった。
私は夕方と翌明け方と、さらに二度くることに決めた。

翌朝、熟睡している三人をベッドに残して公園にむけて車をすっ飛ばす。岩の連なりはまだ闇の中に潜んでいた。朝焼けのなかに輪郭が浮かび上がると、その全貌をあらわにするまで時間はかからない。その間の30分が勝負である。
大西部の中心地に私のほか誰もいない。ジョン・フォード・ポイント、ノース・ウィンドウ、アーティスト・ポイントなど主要なビュー・ポイントを次々と独り占めする。優越感がつい無意識の笑みを運んでくる。


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ナチュラル・ブリッジ国定記念物

モニュメント・バレーで、今回の旅行の目的は達成した。余った時間を使って足を北にのばしてユタ州に舞い戻り、私にとっては三つめのナチュラル・ブリッジを見ていくことにした。心の中では、ナチュラル・ブリッジの極め付きであるアーチーズ国立公園の代替として、国定記念物で我慢することにしたものである。

途中、二つほど見るところがある。ルート163を北上すると右手に奇妙な形をした赤い岩石が見えてくる。頂上に電波受信機のような円盤を乗せた形をしている。地元の人にはそれがメキシコ人のかぶるツバの大きな帽子のように見えた。メキシカン・ハットという。

さらに北上を続けるとやがて「バレー・オブ・ザ・ゴッヅ」というサインが出てくる。左折して未舗装の道を30分近くドライブすると、小高い丘に登る。そこからの見晴らしが素晴らしかった。何があるというのではない。ドライブしてきた道を振り返ると、淡い赤や青緑の織り成す半砂漠のなかを細い線が引かれていることに気づく。蛇行した曲線は乾し上がった川筋であろう。住居もなければ一本の電線もない。奇岩やキャニオンがあるわけでもない。そこは神々のためにリザーブされた神聖な谷なのだろう。何もないが妙に癒される風景だった。

目的地のナチュラル・ブリッジの土地についたが、これがまた、だだっぴろいところで、目当てのブリッジ一つを見ようと思えば、最寄りの物で往復30分以上かかる。とりあえずそれを見ることにした。オワチョモ・ブリッジといって中央部分はわずか3m弱の厚さしかない、危なっかしい石橋である。橋といってもいいし、アーチといってもよい。下まで降りて見上げればもっと印象深いものがあるのだろうが、50m以上の岩場の高低差を上り下りする意欲もなくて、ズームで三種類の写真を撮って引き上げた。

この区域には長さがそれぞれ82m、62mの世界第二と第三に長いナチュラル・ブリッジがあるというのだが、それぞれ往復2時間近くかかるという。結局、大物二つを見ずに終わった。下調べ不足と、余った時間の消化旅行という消極性と、それにかなりの旅疲れがあった。

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