此辺大磯宿の史跡 虚空蔵堂 虚空蔵と熊野権現を祀ったお堂があり(現存)、ここに下馬標が立っていた。大名行列も ここで下馬し、東照権現の併祀された高 麗寺に最敬礼をして静かに寺領内を通った。 寺領傍示杭 高麗寺村と大磯宿との境界を示す。高さは3m程であった。 大磯町 |
『箱根八里』 作詞 鳥居忱(とりいまこと)作曲 滝廉太郎 箱根の山は 天下の険 函谷関も物ならず 萬丈(ばんじょう)の山 千仭(せんじん)の谷 前に聳え後にささふ 雲は山をめぐり 霧は谷をとざす 昼猶闇き杉の並木 羊腸の小径は苔滑か 一夫関に当るや萬夫も開くなし 天下に旅する剛毅の武士(もののふ) 大刀腰に足駄がけ 八里の岩ね踏み鳴す 斯くこそありしか往時の武士 |
ドイツの博物学者エンゲルベルト・ケンペルはオランダ通商使節の一員として元禄4年(1691)と翌5年に箱根を越え、箱根の美しさを世界に紹介してくれました。C・M・バーニーは、この地に別荘をもっていた英国の貿易商です。大正11年にケンペルの著「日本誌」の序文を引用「自然を大切にするように」と碑を建てました。左の英文はその原文です。私たちは二人の功績を讃えここに碑をたてました。昭和61年11月 箱根町長 勝俣茂る ケンペル祭実行委員会長 信濃一男 |
箱根宿の成立 1618年(元和4年)徳川幕府によって宿場が開かれた。時の松平政綱か命を受けて山野を拓き、伊豆国三島宿(幕府の代官支配地)と相模国小田原宿(小田原城府地)から各、50戸づつ移住願いせし(約600人)人為的に箱根宿を創設し、また、二つの系統に依って支配されていた。現在も箱根宿主要部は、字三島町、字小田原町と名付けられている。尚、箱根宿成立に寄与された先人たちの不動の祖嗣として現在、九家が実在し、歴史・伝統等を伝承して行く重責を担い道標を築き努めている。 箱根字三島町祖嗣 川口屋 |