例幣使街道六番目、下野国最初の宿場である。例幣使は、毎年4月11日太田宿に泊まり、八木や梁田で小休止し、12日佐野天明宿泊りとなるのが通例であった。八木節は、当宿で働く越後出身の女性が歌った「くどき節」を原形として、初代堀込源太が創作した民謡で、ここ八木宿は、八木節発祥の地である。 西 太田宿まで2里10丁 東 梁田宿まで30丁 堀込二丁目商工振興会 足利市教育委員会 足利市重要文化財指定 足利市八木節連合会 |
この町は、13世紀からの鋳物や大正期の佐野縮など絹織物による富の蓄積のおかげで町並には大きな家が多く、戦時中に露地に打水などがなされていて、どの家もどの辻も町民による手入れがよくゆきとどいていた。軒下などで遊んでいるこどももまことに子柄がよく、自分がこの子らの将来のために死ぬなら多少の意味があると思ったりした。 |
江戸時代に日光東照宮の例祭(陰暦4月16日)には、朝廷から幣帛を供えるために、毎年勅使が差遣された。これが日光例幣使である。この奉幣使は京都から中山道を下り、倉賀野宿(群馬県高崎市)で分れ、梁田宿(栃木県足利市)・天明宿(佐野市)・栃木宿・楡木宿(鹿沼市)を経て、今市で日光街道に合流して東照宮に到着する。この倉賀野宿・楡木宿間を一般に日光例幣使街道と称している。栃木宿から次ぎの合戦場に向かう道筋は、古い家並みが残り往時を偲ばせてくれる。 |