芭蕉句碑「風の香も」 市民プラザ 大手町 新庄市 山形県
元禄2年(1689)、門人曾良とともに「おくのほそ道」をたどった俳人松尾芭蕉は、6月1日(陽暦7月17日)大石田から新庄城下に入った。彼らを新庄に招いたのは、城下の有力町人渋谷甚兵衛(俳号風流)である。風流亭に入った芭蕉は、そこで「水の奥氷室尋る柳かな」のあいさつの句を詠んだ。(天明年間に造立されたこの句の碑は、金沢新町「柳の清水」脇に建っている。)翌日、二人は、甚兵衛の兄、渋谷九郎兵盛信の家に招かれ、地元の俳人たちとともに句会を催した。盛信は南本町に店を構える城下きっての豪商であった。そこで詠まれたあいさつの句(三つ物)がこれである。
   
風の香も南に近し最上川    翁
   小家の軒を洗ふ夕立     (息)柳風
   物もなく麓は霧に埋て     木端

 このあと、一座は、「御尋に我宿せばし破れ蚊や」の風流の句を発句に、歌仙一巻を巻いた。風流亭に二泊した芭蕉と曾良は、六月三日、本合海河岸から舟で最上川を下り、羽黒山に向かった。この碑は、平成元年、新庄市が「おくのほそ道」紀行300年を記念して、盛信亭に近いこの地に建てたものである。揮毫は渋谷盛信のご子孫で、俳人の渋谷道氏によるものである。