氷室の清水跡 金沢 新庄市 山形県
芭蕉翁ゆかゆの氷室の清水跡
芭蕉が江戸深川の草庵を出て、曾良を伴い「奥の細道」の旅についたのは、元禄2年3月27日(5月16日であった。白川の関を越して松島、平泉と名所旧蹟を訪れて、鳴子の近く尿前の関所を通り堺田の封人の家に宿りを求めて二泊し、山刀伐峠を越え尾花沢、大石田と泊りを重ねた。それから舟形まで馬で送られ、あとは徒歩で羽州街道を北進し、鳥越一里塚を過ぎて右に折れ、左に曲がる角に地蔵堂が建っている。 近くに柳の大木が茂って蔭を作り、側にはこんこんと清水か湧き出ている。 処の人たちは「柳の清水」と呼んでいた。 この日は6月1日(7月17日)の昼ごろてあった。訪ねる風流亭(渋谷甚兵衛宅)は間近と聞いていてもこの涼しげな柳と清冽な清水を見て、芭蕉と曽良も小憩をとって一掬咽喉をうるおし、汗も沈めたことてあろう。 「
水の奥氷室尋ぬる柳かな」  これか風流亭での芭蕉の挨拶の句てあった。氷室は甚兵衛を指している。二人は風流亭に二泊して、6月3日最上川の河港本合海から乗船し、庄内に下られたのである。 新庄市